| 6月の法話 拝むこと/新實信導 |
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私たちは知人に出会うと挨拶やお辞儀をする。子供の頃から親に「挨拶をしなさい」とよく言われたが、なぜ、挨拶が必要なのか、疑問に思いつつも挨拶をしてきた。今思えば、挨拶を交わすことで、お互いが敬意を表すとともに相手に好感や安心を与える。逆に挨拶をしないと相手は自分に嫌悪感や不信感を持っていると思いかねない。挨拶は人間関係を円滑にするためには不可欠とされてきた。 仏前作法の基本は礼拝である。お題目を唱えたり、お経を読むことも大切な修行であるが、最初に行うのが礼拝である。この礼拝を一生の間、行うことで成仏した菩薩がある。 その昔、常不軽(じょうふきょう)という菩薩が現れ、人々に出会うごとに合掌礼拝し「私は深くあなたたちを敬います。軽蔑しません。それは、みな菩薩の修行を行って成仏するからです」と讃えた。この菩薩から礼拝を受けた人の中には瞋って、悪口や罵りをいう者、杖で打ちつける者、石を投げる者さえあった。だが、それでも菩薩は礼拝讃歎の行を止めようとはしなかった。やがて菩薩の命が尽きようとする時、天空からの法華経を聞き、受持された。その功徳により、さらに寿命が二百万億那由佗歳のびたという。そして人々のために法華経を説かれ、自分も成仏して人々も救済されたのである。 相手を信じ聖なる心を呼び起こすには、まず自分が真実の心をもって相手に接することが必要である。さらに相手を見下したり、軽んじたり、非難するような狭い心を持たない。また相手が解ってもらえないのは相手が悪いのではなく、自分の努力が足らないと思うことである。他人から嘲られようとも、意地悪くされても、決してあきらめず、敬い続けることが常不軽菩薩の生き方である。 人間関係が煩雑化しつつある現代社会。だからこそ日常の挨拶を心がけたいものである。真心を込めた挨拶は、他人も自分も幸せになり、仏のさとりに近づくことがでるといえよう。 |