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2008/05/13 火曜日 18:53:51 JST
11月の法話 メール/末田真啓

 携帯電話やパソコンを使って送るメールは、今では小学生からお年寄りにいたるまで、
幅広い層に受け入れられて普及しています。

 なかでも、若年層のメールを送る携帯電話の依存度は高く「肌身離さず」という表現が
適当なぐらいに、生活に密着しているようです。 混雑している電車の車内でも、小さな
画面に喰い入るように、黙々とメールに没頭している光景をよく見かけます。

通信手段としてだけではなく、ゲーム機の遊び感覚でメールを生活の道具のひとつに
しているのではないでしょうか。

 メールは、本来メッセージを他者に伝えるものですが、春先に、忘れられない不思議な
体験をしました。

 夕食後、アルバムの整理をしていたら、思いがけず若い頃の友人の写真が出てきました。
ここ数年体調があまりよくないと聞いていたので、早速、近況報告を兼ねてメールと一緒に
写真も送信することにしました。

 そして翌日、着信のメールを見てみると、昨晩送信したメールの返事が届いていました。
それは、保母さんをしている友人の長女からのメールでした。

「父は昨晩永眠しました。父の若い頃の写真ありがとうございました。いろいろとお世話に
なりました…。」
という、全く予想もしなかった訃報のメールでした。

 結局、写真もメールも友人には届かなかったことになりますが、虫の知らせというので
しょうか、前夜何も知らずにアルバムの整理をしていた頃、友人は三途の河を渡っていた
のです。

 日蓮聖人のお手紙に「この法華経は三途の河にては船となり…大白牛車となり…燈と
なり…尋ねさせ給え」 とありますが、果たして友人は、遙々この娑婆世界の凡僧を
「尋ね」てくれていたのです。

 友人の末期に拘わった一通のメールは、生涯において忘れることのできない「メール」と
なりました。

 蛇足ですが、友人のために法華経の肝要であるお自我偈とお題目によって懇ろに供養を
したことは言うまでもありません。