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「この算数の問題、よく解らないから教えて…」と息子にせがまれたので教えることになった。
数式のイコール(=)は右と左が同じことを意味する」から、公式の(○+△)×□=○×□+△×□は、同じなんだと教えても解ったようで解らない顔をしている。
三十年も昔の話だが以前にも同じようなことがあった。弟に算数の宿題が解らないから教えてくれと頼まれた。何度もくり返し教えても理解してもらえない。ついに解らないことに腹立て怒ってしまった。それからというもの弟から宿題を教えてと頼まれなくなってしまった。
私は簡単な問題だから教えてやろうという軽い気持ちで臨んだが、理解できない場合、おおかた教え方に問題がある。ややもすると自分は解るから他人も同じように理解できると錯覚してしまう。これが失敗の一因である。
また、教えることは自分で行う以上に頭も体力も消費するため、つい適当になる。何が大切かというと、問題を解く ヒントになるきっかけを与えることが必要である。難解な問題が解けたときの喜びは次への励みとなる。ヒントを教え自分の頭で考えさせ、自分で解かせることにより大いに自信がつく。
お釈迦様も私たちを救うためにあの手この手とを努力を惜しまず救いの手を差し延べられている。だが、覚りの心を簡単に授けようとはなされない。私たち凡夫にとっては突然授けられても何だか解らずに気が動転してしまうに違いない。
そこで、お釈迦様は覚りを経典という形として、この世に残された。経典の一字一句でも理解ができれば、お釈迦様から教えを頂戴したことになり、その感動は甚大である。まさに経典には釈尊の真心が説かれており、これを素直に承け、実践していくことが仏さまの教えを信じる私たちにとって覚りの心につながる修行でもある。
いつも仏さまは経典という心の至宝を介して私たちに救いのメッセージを投げかけられているのである。
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