法話(毎月更新)
2月の法話 何よりも大事な健康/當山第三十二世 日法上人遺稿
健康で毎日忙しい時は、二・三日ゆっくりと休んでみたいものだなあと思うものである。
だが入院して病院生活を送るとなると、改めて健康ほど大事なものはないということを、身をもって味わった。病床に伏し、検査と治療が日課の生活。右も左も病人の中にいるからさほど気にならないが、見舞いの人の元気な姿を見ると、やはりうらやましく思う。
お釈迦さまの教えに「四苦八苦」がある。四苦とは生老病死を言い、病気はその一つであり、やがて死に至ることさえもあるのだ。
私は若い頃から自分の身体には自信をもっていた。その過信が病気を呼んだものと、深く反省している。即ち、十分に休養をとらず無理をする。精神的疲労・ストレスが蓄積されても、解消されることがないという状況であった。
ストレスが身体に与える影響について、お経には次のように説かれている。
瞋(いかり)を断たば静
かなる眠りを得、恚(う
らみ)を忘れれば憂いな
し。いかりは毒の根なり
賢者はこれを除きて安楽
なることを得たり。
瞋も恚もともに「いかり」であるが、瞋は目に角を立てることで、丸い目をまむしのように三角につり上げて瞋ること。恚は心の中に深く怨みを含むもの。私たちの心にまつわりつく、これらのいかりの蔓(つる)を断ち切ってしまえば、夜も安らかに眠れようし、安楽な日々を送ることができよう。
米国のある学者は「怒りが起こると顔が赤くなる。まぶたが広がり眼が充血する、声がふるえる等の状態が起こる。そして消化器系統の全てが痙攣し、脈拍は増え血圧も上がり、卒中・狭心症・動脈血栓等取り返しのつかぬ事が起こる」と述べている。
心の肉体に与える影響がいかに大きいかが知れる。
宗祖日蓮聖人は「いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり」と説かれるが、どんなに健康が大切であるかを考え、健康に日々を送ることができるよう、心がけたいものである。
2月の法話 井桁に橘(たちばな)/服部憲厚
「お上人この紋はどういう意味があるのですか。」
日蓮宗の寺院へ行きますと、幕、仏具、湯呑等さまざまな所に「井桁に橘」の紋が入っています。ご信者様の質問はその紋のことでした。私は「日蓮宗の紋ですよ‥。」としか答えられず慌てて調べてみましたが『日蓮宗事典』にも記載がなく、意外とこの紋は謎が多いようです。
伝承によりますと、日蓮聖人の父君が、貫名重忠という名の元武士。井伊家の支流貫名家の家紋である。という説明がよくなされますが、聖人御自身「自分は旃陀羅(身分の低い民)の子である。」としか家系について述べられていません。
出生については諸説あり家紋だと言ってしまえばそれまでです。しかし日蓮宗といえばこの紋、というまで広く使われるようになったのは、何か深い意味がありそうです。
古来より、橘は日蓮聖人が好まれた植物と言われます。柑橘類といえばピンとくるかと思います。
当時の御信者方は、「柑子」(今でいうみかん)をよく日蓮聖人に御供養されました。好んで召し上がられた事が想像されます。又、四季を通じて常緑の橘は、永遠を表すそうです。
法華経に説かれる久遠の仏様を橘に譬えますと、その種や栄養が凝縮された果実は、お題目であります。
日蓮聖人が好まれた理由も頷ける気がします。
井桁、これは井戸を表すそうです。井戸は、水をたたえる大切な場所。守り伝えるべき所ともいえます。
橘紋を法華経、お題目の御教とみれば、その御教をよりどころとして大切に守り伝えていくことがこの井筒紋の示すところと考えられます。
この紋章が代々伝えてこられたことは信仰が大切に受け継がれてきた証です。私達も、次の世代に守り伝えなければなりません。
こたつにみかんが恋しい季節。頂く前にお祖師様に御供をいたしましょう。
二月十六日は日蓮聖人の御降誕会(お誕生日)であります。
1月の法話 凧揚げ(たこあげ)/日 慧
新年を迎え、皆々様のご健康とご多幸をお祈り申しあげます。
お正月というと、私どもの年代にとって、コマ回しに羽根つき、凧揚げなどが浮かんできます。中でも凧揚げは、先代である父が子供相手に揚げてくれ、糸がたりなくなって大急ぎで太い木綿糸を足したのを思い出します。大空に舞い上がり小さく小さくなった凧を、糸一本で操るのは実に爽快な体験でした。
凧揚げは風との対話だと思います。風の強弱や方向を感じ取り、風がなくなれば軽く糸を引き、風にあおられれば逆に糸を繰り出したり、調整をしないと凧は空中に舞ってくれません。風の微妙な語りかけに対して、こちらも速やかに反応することが大事なのです。そのためにはまず足場をしっかり固めておかなくてはなりません。空き地や田んぼなどで凧揚げをするときは、特に足下をしっかり確かめておかないと、つまずいたり転んだりします。
でも一番大事なことは、丈夫な糸を使いこれをしっかり保持して操るということです。「糸の切れた凧」という表現がありますが、方向が定まらずどこへ飛んでいくか、いつ落ちるか判らないものの代名詞になっています。こちらの意思をしっかり伝えるのも、最後はこの糸一本にかかっているのです。糸を通して操者の意思を明確に伝える。この基本を守らないと、凧はうまく風に乗って上がってくれないばかりか、急激に落下したり、ひょろひょろと何処ともなく飛び去ってしまったり、ということになってしまいます。
振り返って我が身を見たとき、昨年の自分の姿はどうだったでしょうか。中々高く上がらなかったり、あせった挙げ句の急激な糸の引きで逆に落下してしまったり、あるいは糸を離したり切れて風に流されてしまったり、とそんなことはなかったでしょうか。
新年を迎えまずは足下を固め、慎重に風向きを読み、意図(目標)を明確にして、大空を存分に舞い飛んでみようではありませんか。
1月の法話 御題目の法味/毛利観恭
昨年はあらゆる意味で大変な年だったと思います。
東日本大震災は大変という表現の枠を越えた災害でした。二万以上の人が亡くなられ、未だ何千人もの行方不明者がいる現実。
原発に至っては廃炉まで順調に進んで、四十年後という状況です。
台風でも和歌山県が経験した事のない集中豪雨により、河川の氾濫で交通が寸断され、またせき止め湖ができた事により、何十日もせき止め湖が決壊するかも知れない状況が続きました。
海外ではアラブ諸国で国民による民主化運動。ある国では大統領が裁かれ、またある国では長年民衆に独裁者として畏れられていた支配者が、配送中に反政府軍に射たれて死亡しました。
災害に関しては予測できませんでしたし、予測した人がいたとしても対策ができていませんでした。
原発事故は人災というのが大方の見方です。
災害の予測に関して、私達は短期的なら心構えできますが、長期になると忘れてしまいます。確実に認識できるのは今という瞬間です。未来の事は期間が長ければそれだけ無数に原因が加わり先行きが分かりません。分からないと意識が希薄になり忘れていきます。
アラブ諸国の事では、独裁者は欲の塊です。欲にも二つあります。利他の欲と利己の欲です。国民のためというのは利他。自分のためは利己です。独裁者も最初は国のために立つのでしょうが、そのうち周りはイエスマンばかりになり自分に都合の良いように、利己に走ってしまいます。
利他に生きることを菩薩行といいます。自身の損得に執着せずに生きることで、それは私達がお題目を無心に唱える事で実現するのではないでしょうか。透明な水に青を入れると青に染まり、濁った水に青を入れても青くなりません。青は得る徳で、水は私達の心です。利己に走れば心の水は濁ります。周りの他の人たちと共に悦びを分かち合うことで、より大きな心の満足が得られますよう、年頭に当たってお祈り申しあげます。
12月の法話 父母に孝あるべし/第三十二世日法上人遺稿
宗祖日蓮聖人は、四徳ということを示されている。これは儒教の教えで、その一は「父母に孝あるべし」とされる。
さらに続けて、法華経では四恩があるとされ、その一は「父母の恩を報ぜよ」だと説かれている。どちらもまず父母への孝養が第一とされている。父母への孝とは、たとえ親がものの分からない人で、子を悪し様に言っても、子は少しも腹を立てず、また親のいうことが間違いであるというような顔もせず、親のいうことに逆らわず、また親に何もあげるものがなくても、一日に二・三度笑顔を見せなさい、と説かれる。
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