暦のあれこれ

普段目にするけどイマイチよく解らない「暦(こよみ)」について、身近な例を元に分かりやすく紹介します。

 戦国時代の軍師は作戦や外交を手がけたわけですが、それとは別に暦を元に合戦に必要な日時、方位の吉凶を占う役割もありました。そんな吉凶を占える軍師を別名軍配者と呼んでいたようです。

 そんな軍配者は暦を元に合戦の吉日、凶日を選び方角も細かく選定していたのですが現実的な戦国大名等はそれに従わない者も多くいました。

 有名なところでは中国地方の大名の毛利元就がいます。

 前回までは、暦に日常を支配されていた平安貴族のお話を紹介しました。

 では、逆に当時の武士の場合はどうだったのでしょうか。当時の記録を見てみると、源平合戦の時なども良い日を選んで軍事行動をしていた事が記されており、やはり武士達も暦の吉凶を信じていた様です。

 戦国時代になると、戦いに際して暦や方位に関する知識が兵法に組み込まれていきました。そしてそれらを駆使して、作戦を立ててい

 平安時代、暦は選日の吉凶を中心に利用され、人々はそれに縛られていた事を前回述べました。

 そしてその当時、暦の吉凶を占っていた有名人といえば、安倍晴明です。古来から現在に至るまで、特異な能力で怪異を鎮めるスターとして語り継がれています。

 ところで、小説や映画ではなく、実在の安倍晴明はどうだったのでしょうか。

 安倍晴明は天文、気象、暦等を扱う陰陽寮という役所に

 鎌倉時代初期に成立した「宇治拾遺物語」という書物に、当時の暦にまつわる話がのっています。 ある身分の低い女官が下級役人に暦の書写を依頼したところ、その役人がいたずらで、あらぬ事を書き連ねてしまいその女官が大変な目にあったというものです。

 それは選日の吉凶の決まり事の欄に、その日の禁止事項として出鱈目が書かれていたというもので、特にひどいのは「はこすべからず」と書かれていた事です

 今まで暦の選日による吉凶判断をみてきましたが、昔の人々は今の私達とは比べられない程、暦の吉凶判断を気にしていました。特に平安時代の貴族の生活は、暦に支配されていたといっても過言ではありませんでした。

 当時の貴族たちの日記等の記録をみてみると、朝一番でまず暦で吉凶を知り、その日は暦に書かれている様々な細かい約束事を守るなど、吉凶判断の通り行動しなければならないとされていました。…