暦のあれこれ

普段目にするけどイマイチよく解らない「暦(こよみ)」について、身近な例を元に分かりやすく紹介します。

 時と共に多くの改良が重ねられた暦ですが、現代では考え方も様変わりして、暦に示されている様々な吉凶を迷信だと思われている方も多いでしょう。確かに語呂合わせの様なものもありますが、多くのものは昔からの自然に対する経験、智恵をもって考えられ、定められたものです。

 ですので、迷信だと一笑に付すのではなく、そんな日は自然のエネルギーが吉の方にあるいは凶の方に流れ易い時と考えてみてはどうで

 暦に縛られなかった有名な戦国大名といえば豊臣秀吉もその一人です。

 多くの合戦に勝利した秀吉は、暦をうまく扱っていたようです。

 天正十年(一五八二)本能寺の変で織田信長が倒され、姫路から京都までわずか五日間で行軍したとされる「中国大返し」の時の事です。

 軍師が姫路城から出陣する日は二度と帰ってこられない悪日だから止めるべきだと進言すると、秀吉は「私は主君信長公の為に討ち死

 戦国時代の軍師は作戦や外交を手がけたわけですが、それとは別に暦を元に合戦に必要な日時、方位の吉凶を占う役割もありました。そんな吉凶を占える軍師を別名軍配者と呼んでいたようです。

 そんな軍配者は暦を元に合戦の吉日、凶日を選び方角も細かく選定していたのですが現実的な戦国大名等はそれに従わない者も多くいました。

 有名なところでは中国地方の大名の毛利元就がいます。

 前回までは、暦に日常を支配されていた平安貴族のお話を紹介しました。

 では、逆に当時の武士の場合はどうだったのでしょうか。当時の記録を見てみると、源平合戦の時なども良い日を選んで軍事行動をしていた事が記されており、やはり武士達も暦の吉凶を信じていた様です。

 戦国時代になると、戦いに際して暦や方位に関する知識が兵法に組み込まれていきました。そしてそれらを駆使して、作戦を立ててい

 平安時代、暦は選日の吉凶を中心に利用され、人々はそれに縛られていた事を前回述べました。

 そしてその当時、暦の吉凶を占っていた有名人といえば、安倍晴明です。古来から現在に至るまで、特異な能力で怪異を鎮めるスターとして語り継がれています。

 ところで、小説や映画ではなく、実在の安倍晴明はどうだったのでしょうか。

 安倍晴明は天文、気象、暦等を扱う陰陽寮という役所に