暦のあれこれ

普段目にするけどイマイチよく解らない「暦(こよみ)」について、身近な例を元に分かりやすく紹介します。

 明治政府は改暦にあわせて、全ての暦注を迷信として暦から削除しました。暦注とは陰陽五行説に基づいた、暦についている様々な吉凶判断です。その暦注を除いた暦を、政府は公式暦として発行していたのですが、部数はそれほど伸びませんでした。

 実は現在の海賊版の様な偽暦が多く出回っていたためです。この偽暦は発行者と住所をたくみに隠し、正体不明の為「おばけ暦」と呼ばれていました。この暦には

 明治初期の突然すぎた旧暦から新暦への改暦は、民衆の大混乱をもたらしました。地方では、新暦廃止を求めて暴動が起きた所もあり、国民もすんなりと世府の政策を受け入れられなかったのです。

 特に困ったのは農家の人達です。種まきや収穫などの目安を旧暦に頼っていた為に、新暦ではまったく見当がつかなくなってしまいました。

 その為、政府の「旧暦を廃止し新暦を奉ずべし」と

 明治の旧暦から新暦への改暦は明治五年十一月九日の告知から十二月三日の実施までわずか二十三日しかないという、かなり急な出来事でした。

 しかし、この性急な改暦には理由がありました。

 その理由とは財政上の問題でした。時の新政府は、発足したばかりで国庫にはまったく余裕がなかったのです。

 そんな時、明治六年は旧暦では閏月がある年でした。このま

 幕末から明治において欧米諸国と交渉をしていた日本にとり、欧米との暦の違いはやっかいな問題の一つでした。

 すでに明治当初から太陽暦採用の意見は多くあり、有識者による会議も行なわれ、政府は秘密裏に太陽暦改暦への準備を進めていました。

 そして明治五年十一月九日宮中にて突然改暦の詔書が発表され、来月、十二月三日を明治六年一月一日とすると布告されたのです。

 六世紀に本格的に中国から導入された所謂旧暦は、改良を加えられながら明治の太陽暦(新暦)への改暦まで約千二百年もの間使われてきました。

 江戸時代前期には「貞亨暦」といわれる初めて日本人が編纂した暦が作られ、以後江戸時代を通して、幕府によって統一された暦が全国に頒布されていきました。

 年々頒布数も増え続けた暦は、幕末には約四百五十万部も作られていたといいま