暦のあれこれ

普段目にするけどイマイチよく解らない「暦(こよみ)」について、身近な例を元に分かりやすく紹介します。

 五行説は、世界は五つの要素、木火土金水の生み出す関係と剋する(やっつける)関係とで出来ているという説です。

 木は燃えて火を生み、火は灰となり土を、土の中からは金属が、金属が冷えると水を生じ、そして水は木を育むという互いを生み出す関係と、

 暦には「暦注」というものが示されています。暦注とはその日が吉か凶か、何をすれば良いか、何をしてはいけないのかを表したものです。今でも大安、仏滅等を見る機会は多いと思いますが、旧暦では暦注のない日はないほどで、生活の基本となっていました。

 こんな暦注の多くは古代中国で生まれた思想である「陰陽五行説」を元に発展してきたものです。

 この説は、この世は全て陰と

 明治政府は改暦にあわせて、全ての暦注を迷信として暦から削除しました。暦注とは陰陽五行説に基づいた、暦についている様々な吉凶判断です。その暦注を除いた暦を、政府は公式暦として発行していたのですが、部数はそれほど伸びませんでした。

 実は現在の海賊版の様な偽暦が多く出回っていたためです。この偽暦は発行者と住所をたくみに隠し、正体不明の為「おばけ暦」と呼ばれていました。この暦には

 明治初期の突然すぎた旧暦から新暦への改暦は、民衆の大混乱をもたらしました。地方では、新暦廃止を求めて暴動が起きた所もあり、国民もすんなりと世府の政策を受け入れられなかったのです。

 特に困ったのは農家の人達です。種まきや収穫などの目安を旧暦に頼っていた為に、新暦ではまったく見当がつかなくなってしまいました。

 その為、政府の「旧暦を廃止し新暦を奉ずべし」と

 明治の旧暦から新暦への改暦は明治五年十一月九日の告知から十二月三日の実施までわずか二十三日しかないという、かなり急な出来事でした。

 しかし、この性急な改暦には理由がありました。

 その理由とは財政上の問題でした。時の新政府は、発足したばかりで国庫にはまったく余裕がなかったのです。

 そんな時、明治六年は旧暦では閏月がある年でした。このま