幕末から明治において欧米諸国と交渉をしていた日本にとり、欧米との暦の違いはやっかいな問題の一つでした。

 すでに明治当初から太陽暦採用の意見は多くあり、有識者による会議も行なわれ、政府は秘密裏に太陽暦改暦への準備を進めていました。

 そして明治五年十一月九日宮中にて突然改暦の詔書が発表され、来月、十二月三日を明治六年一月一日とすると布告されたのです。

 発表まで何も知らされていなかったほとんどの国民は突然の改暦に大変驚きました。まして改暦の発表から実地まで、わずか二十三日しかないのです。当然国民は困惑し、生活も大きく混乱しました。

 しかし、何故明治政府はこんなにも秘密裏に、しかも急いで改暦をする必要があったのでしょうか。