明治初期の突然すぎた旧暦から新暦への改暦は、民衆の大混乱をもたらしました。地方では、新暦廃止を求めて暴動が起きた所もあり、国民もすんなりと世府の政策を受け入れられなかったのです。

 特に困ったのは農家の人達です。種まきや収穫などの目安を旧暦に頼っていた為に、新暦ではまったく見当がつかなくなってしまいました。

 その為、政府の「旧暦を廃止し新暦を奉ずべし」とした通達を無視し、旧暦を使い続けた地方は多くありました。ある地方では新暦で年間行事を行なったのはわずか戸数の百分の一だったそうです。

 その結果、明治末まで旧暦と新暦は併存し、旧正月や旧盆は全国的に廃れる事はありませんでした。その風習は今も「月遅れの盆」として行なわれています。