今から約四十年前のことである。母の都合で小学五年の私と小学二年の弟と二人で母の実家に一週間ほど預けられた。

 祖父母や叔父叔母、従姉妹と楽しい夕食あと床につき、朝食を家族みんなでとったときのことである。ご飯と味噌汁が出され、ご飯を一口入れると、いつもと違う、冷たいのである。自分の家では朝食のご飯は暖かいのがあたりまえであった。

 そして、祖父は食事をすますと、お茶でご飯茶碗をきれいにすすぎ、食卓に備え付けの引き出しをあけ、その中にお茶碗とお箸をしまったのである。

 いつもご飯を食べ終わると、そのまま食卓の上に置いたままごちそうさまをして去って行いく自分とはまるで違っていた。

 私は冷たいご飯に暖かい味噌汁をかけて食事を済ませあと、お茶でお茶碗を洗おうとしたが、祖母が「そのままおいといていいよ」といわれ、朝食を終えた。

 カルチャーショックというか、祖父母の家には炊飯ジャーというものがなかった。ご飯は毎日、夕食時にガス炊飯器で炊き、残りご飯を朝や昼にいただく習慣であった。温かいご飯がいつでも食べられるのは当たり前のことではなかった。幼いながらも暖かいご飯のありがたさが身にしみる思い出であった。

 法華経最終章には普賢の行が説かれている。「是の人は心意質直にして、正憶念有り、福徳力有らん。是の人は三毒に悩まされじ。亦嫉妬、我慢、邪慢、増上慢に悩まされじ。是の人は少欲知足にして、能く普賢の行を修せん。」とある。法華経を受持し読誦して身も心も誠実で素直であれば正しい心を持ち福徳をえられ、煩悩から離れて慢心から遠ざかることができる。欲少なくして足ることを知り、普賢菩薩の行を実践することができる。

 昔から多くを語らない祖父であったが、その姿は言葉以上に重みがあった。私は預けられた一週間であったが実は祖父から大切なものを預けられたのである。