つたなき者のならいは
  約束せし事を まことの時はわす(忘)るるなるべし

 宗祖日蓮聖人のお説きになった一節である。

 仕事に追われて、ふと気がつくと大切な約束をすっぽかしてしまった。
故意にではないのだが、相手があってのことなので申し訳ないという思いと、何でこんな失敗をしてしまったのかという悔悟の念が入り交じり、身の置き場がないような気持ちになってしまう。

 これは大切だという事に限って起こりがちなことである。忘れないように手帳にしっかりメモしておいてその手帳をどこにおいたか忘れてしまう、などということもよくある失敗だ。

 ここで「つたなき者」とされるのは、仏との対比から出た表現である。仏さまはこのような失敗を決してなさらない。絶対的に信頼できる方なのである。

 法華経第2章方便品では仏が「我れもと誓願を立てて、一切衆生をして我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき。我が昔の所願の如き、今は已に満足しぬ」と語られる。

私たち衆生を仏さまと同等の仏にしようと誓願されたのである。仏の誓う約束は必ず守られる。決してすっぽかされることはない。
その約束を守るために、一切衆生を成仏に導く教え『法華経』が説かれた。かくして仏の約束は果たされ、衆生を成仏させるという誓いは満足したというのである。

 但しそうは言っても、私たちは現実にはまだ成仏していないじゃないかという点が気にかかる。

これについては、例えば仏の教えを命綱と考えてみたらどうだろう。
苦悩の荒海でもがく私たちに命綱を仏が投げて下さっても、私たちがそれに気付き自らの手でつかまらなくては、仏は私たちを引き寄せ助けることができない。

この命綱につかまるという行為が、仏の真の教え『法華経』を信じ行じるということなのである。

 仏の為すべき約束は果たされた。次はそれに対して私たちの側からのアクションが必要となるのである。