「十、十一、十二、十三、十四!」
「おぉ!十四まで数えられたやん!いつ覚えたん?」
「だっていつもお父さんとお風呂で練習してたやん、だから覚えてん。」

 今月から小学校に入学する息子とのつい最近のやり取りだ。現在、軽度の発達障害がある息子は、最近まで一から十までまともに数えることができなかった。それがここにきて急に十四まで数えたのだ。その他にも様々な方面での成長がみられるようになった。

 大抵の幼児は、大人が気づかないうちにいつの間にかそのような様々な能力を一気に獲得してしまうが、息子のような子の場合は、その成長の過程を私たちははっきりと確認できる。もちろんどちらの場合も、親をはじめとする周りの人間との濃密なコミュニケーションを通じてそれらの能力を獲得していく。しかも、どんな子どもの成長も、遺伝的な要素と環境的な要素を通して初めてなされる。例えば、飼っている子猫をいくら可愛がっても人の言葉を話すようにはならないし、また、人の子どもであっても、動物に育てられた野生児などは人の言葉を話すことはできない。つまり人が人として成長して生きていくためには、両親をはじめとする先祖から受け継がれてきた先天的なものと生まれ落ちたこの環境世界や共生している他者との様々なやり取りのなかで獲得する後天的なものの両方が必要となるのだ。決して私たちは、ひとりで生まれ、育ち、生きていくことはできないのである。

 私たちは、とかくこのことを忘れがちになってしまう。自分ひとりだけで存在していると勘違いして我を通そうとすることから多くの苦しみを自ら生じてしまう。

 お釈迦さまは法華経のなかで、私たちがいかに多くの存在に支えられており、また同時に多くの存在を支えているのだということを説かれている。そして、私たちはその教えを普段の生活のなかに見出し、学んでいくことが必要であろう。