すっかり春らしい陽気になりました。妙見山上の桜も開花に備えしっかりと蕾(つぼみ)をつくっています。しかし蕾をつくるのは植物だけではありません。私たちの心にも花を咲かせる蕾があります。ではどうすれば花が咲くのでしょうか?それは御題目です。

日蓮聖人は釈尊がお説きになられた経典の中で法華経こそが最高の教えであると確信されました。そして四月二十八日、清澄の旭ヶ森にて朝日に向かい初めて御題目をお唱えになられ、生涯をかけて法華経を弘めることを誓願されました。

そんな日蓮聖人に帰依された信者は数多く、中には出家得度して日蓮聖人の弟子になった人もいます。法華経による救済を願う聖人の強い信念が感じられ、そういった姿勢に必然的に弟子や信者が増えていったことは納得できるものです。

私も日蓮聖人にお会いしたいという思いをもって僧侶を志したひとりです。その思いにかきたてられた聖人のお手紙があります。

「日蓮は日本第一の法華経の行者である。日蓮の弟子檀那等が日蓮より後(あの世)に来たならば、梵天・帝釈・四大天王・閻魔法皇の前にて日蓮の弟子であると名乗り通りなさい。この法華経は三途の川では船となり、死出の山では大白牛車となり、冥土では灯となって霊山へ参る橋になります。霊山へ来た際には艮(うしとら)の廊(わたりどの)で尋ねなさい。日蓮は必ず待っています。」
この手紙を読んだとき私の足はガクガクと震え大粒の涙が流れました。

これは臨終に際し不安を抱いているご信者に宛てた手紙なのですが、法華経がいかに尊いものであるか、また、日蓮聖人の弟子であると名乗れば何も心配することはないと大きな安心感を与え日蓮聖人にお会いできると約束されています。しかし続きにこう書かれています。「但し各々の信心によるべく候」信心があってのことです。法華経を信仰することにより浄い花をしっかり咲かせて日蓮聖人にお会いしたいものです。