「気骨」という言葉があるが、読み方一つで意味が異なる。「キコツ」と読むときは、自分の信念を守って、どんな障害にも屈服しない強い意気のこと意味する。一方、「キボネ」と読む場合は、心づかい、気苦労や心配といったことを意味するそうだ。最近では、キボネという読みの方が一般的な傾向にあるように思える。しかし明治人の性格を一言で表現すると、このキコツがぴったりとする。

私の母方の祖父母は明治生まれであった。とくに祖父は自分にも他人にも厳しい人であったことを母からよく聞かされた。だが、孫である私にとっては、畑からいつも果物を運んでくれる実に優しいおじいちゃんであった。真夏の暑い日でも畑に出かけ、スイカを取ってきてその場で半分に割ってスプーンと一緒に出された。「食べ、食べ」といわれ、まるごと一個を食べた想い出がある。

そんな祖父にも大きな苦難が待ちかまえていた。昭和二十二年頃からGHQの指揮の下、日本政府によって農地の所有制度の改革が行われた。そのため地主の農地は政府によって強制的に安値で買い上げられて小作人に売り渡された。全国の七割余りの農地が地主から小作人の所有となった。

祖父も先祖から受け継いだ土地を守り続けたが、農地改革によって多くの土地を失うことになった。わずかな土地を耕し、米や野菜などの作物を作り、その利益で手放した田畑を買い戻していった。ご先祖様が代々守ってきた土地を買い戻すために一生をかけて田畑を耕した人であった。祖父の生き方を思うたびにこの気骨(きこつ)という言葉を想い出す。

人は一生を懸けて生きているとき、苦を苦と思わずに、幸せを見出しているのかも知れない。日蓮聖人は「日々のお勤めを法華経と思われるがよい。世間一般の職業も法華経の修行と異なるものではない」と私たちに教示されている。修行とは気骨(きこつ)ある毎日の生活の中にこそ存在するのではなかろうか。