人間はどんな時でも相談相手がほしいものです。自らの限られた経験や考えだけでは不安になります。実際何か行動を起こすとき、十分な確信に裏付けられていることは多くはないでしょう。できる事なら信頼できる友人に教えてもらったり、勇気づけられたりしたいものです。そんな時、近くによき友人がいてくれればいいのですが、いつもそうだとはいえません。

 私はそういった時、生身の人間に代わるものとして良き友人を、お釈迦さまが私達に最も伝えたかった教えである妙法蓮華経や日蓮大聖人の御遺文の中に見出してきました。

 御遺文は日蓮大聖人の血のにじむような体験の中から生まれた御言葉です。それらは私たちの心に強く響き、私たちを正しい方向に導き、実際に行動する気持ちを鼓舞してくれます。膨大な御遺文すべてを一度に読む必要はありません。一言一句でも自分の身に置き換えて吟味することによって生きてくるはずです。そして私たちが自分の脇において時にひもといてみるならば良き友がいつも身近にいるのと同じように心の豊かさを感じることができるはずです。私たちは御遺文の中から必ずや良き友人に出会うに違いありません。それはきっと日常の仕事、家庭生活、生き方について改めて考え直し、更には新しい目標に対して勇気をもって前進する力を与えてくれることでしょう。

 最後に、私が常に心にもっている御遺文をご紹介しましょう。

我が頭(こうべ)は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり、譬えば種子(たね)と菓子(このみ)と身と影とのごとし

 私たちはともすれば一人で生きていると考えがちです。しかし、実は父母や先祖、周囲の多くの方々とのご縁の中に生かされているのです。今月はお盆です。父母を思いご先祖様を思い法華経を流布された日蓮大聖人を思い如何に生きるべきか考えてみてはいかがでしょうか。