山のたより

能勢家文書

「信友」の「山のお便り」欄の記事を掲載しております。

 突然パソコンが故障した。全てのデータにアクセスできなくなり自分の目の前も真っ暗になっていく。なんとか気を持ち直してこの原稿を書いているが、買って一年経たないので、まさか壊れるとは思っていなかった。

 振り返ると人生も同じかもしれない。自分だけは大丈夫と思っていても必ず終わりはやってくる。

 日蓮聖人は「まずは臨終の事を習うてのちに他事を習うべし」とおっしゃ

 秋と言えば運動会。地域の運動会など、ふだん運動し慣れないのに急に走り転んでケガをするかたもちらほらと……普段から運動しておけば良かったと思っても後の祭り。

 信仰のあり方も同じです。日蓮聖人もパッと燃え上がりすぐに消えてしまう火のような信仰より、少しずつでも続けることで一滴一滴の水がやがて川になり大海となる、水のような信仰をすすめておられます。…

 仏教で修行と言えば苦行はだめで「中道」が良いとされる。ではどの程度の修行が「中道」なのだろう。

 お釈迦様の弟子のシュローナは、まさに箱入り息子だったので外を歩いたことがなく、誰もができる軽く歩いてお経を読む修行をしただけで足が血まみれになった。その様子を見た釈尊は、度を超した修行は良くない、と声をかけたという。

 裏を返せば、全員に共通する「中道」はないのだといえる。

 縁ありラジオに出させて頂いた時のこと、伝えることの難しさを感じつつ、終わったときには、じっとりと冷や汗がにじんでいた。顔も見えず、お会いしたことのないリスナーの方に、どれほど理解し共感して頂けたのかあまり自信はない。

 ひるがえって、お釈迦様の教えは何百年経っても人々に伝えられ今なお現在進行形で広がっている。仏と自分を比べるのはおこがましいが、様々なご縁を通じて自分もまた仏

 「ははがうまれる」という本を見た。お母さんを応援する子育てエッセイ集といった内容だが、中身もさることながらタイトルがとても興味深い。

 子供が生まれる事により、その子の「母」もまた新たにこの世に誕生する。たった一つのきっかけで生活全てが変わっていくというのはとても不思議な感じがする。

 仏教では大なり小なり全てが縁で繋がっており、何かが起こるとそれが世界の