山のたより

能勢家文書

「信友」の「山のお便り」欄の記事を掲載しております。

 高名な尺八の先生と話をしたときのこと。 尺八は自分の力だけで音を出そうとしてもいい音は出ない。物は元々素晴らしい音をもっており、私達はそれを引き出すお手伝いをしているに過ぎない。大切なのは、その物が持っている音を感じ、最適な吹き方をすることなのだそうです。

 私達の信じる法華経も同じではないでしょうか。自らの力だけで全てを理解し仏になるのは難しく、遠回りに思えても、お釈迦様

 人の手が入っていない原生林において、森を形作る木の種類はあまり多くないらしい。関西では、標高が低い場所ではコジイ、中ぐらいはアカガシ、高い所の一部はブナになることが多いという。

 現在、多くの山は人の手が入り、建材になりやすいスギやヒノキの林になっているが、寺社仏閣など一部の聖域では原生林がかろうじて残っている。

 当山には、真如寺にコジイ、奥の院にアカガ

 毎日見慣れている景色にありがたみを感じることは少ない。

 先日、植物に詳しい大学の先生と歩く機会があった。先生の手にかかれば普段見慣れている雑木や雑草の景色が、素晴らしい夢のような世界へと変わる。ここでは珍しくない植物が、全国ではとても貴重だったり、見ることが困難になりつつある風景だと知ったからだ。この景色を大切にしなければと感じた。

 私達の人生も実は同じだ。何気ない

 若いときの苦労は買ってでもしろという。色々経験すれば考えや行動の幅も広がり、結果人生にとってプラスになるのだろう。

 だが、逆に無理に苦労をして体や心を壊す人もいる。苦労が単なる「苦」になっては体を壊す原因にもなり、かといって「楽」をしてばかりでは将来困ることもあるだろう。

 仏教では快楽も苦行もどちらも悟りの道ではなく「中道」を取るのが良いとされる。

 環境保護やエコの文字を見ない日はない。環境保護というと人間が自然に一切手を触れないような印象を受けるが、人間が何もしない事が自然にとって最も良いのだろうか。

 最近多い山の土砂崩れは、人間が山に入らなくなったことによって引き起こされる事が多く、希少な生物が住むことで有名な能勢の湿地帯も人間が入らなくなったために消えようとしている。

 仏教とは共生の教えであ