山のたより

能勢家文書

「信友」の「山のお便り」欄の記事を掲載しております。

 年末に荒行堂へご信者様有志と共に参拝に行きました。

副住職に面会した後、大勢の荒行僧による加持祈祷を受けました。

その時思いましたが、行堂の百日間は外にいる時は年末年始の慌ただしい時期でもあり

あっという間に終わりますが、行僧だった時の私には長い日々の連続でした。

辛く厳しいからではなく、心を研ぎ澄ませ集中させていたからだと思い当たりました。

 習慣は第二の天性なり、という諺がある。
習慣というものは、生まれつき持っている天性と同じように深く身についているものだ。

 筆者の祖父は、湯飲みにお茶を入れるときなど、逆さに返して中にゴミなどが入っていないか確かめてからお茶を入れるのが習い性だった。
ある時、水が入っているのに気付かずコップを逆さにし、テーブルが水浸しになり大騒ぎになった。

 学校の試験前、追い詰められるとどうしても散らかった部屋が気になり、ついつい掃除をしてしまう。  

 目の前の事から逃げるだけの現実逃避だと気づいていても、適当な理由をつけて、ついついぴかぴかの部屋に満足するだけに終わってしまうのだ。

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 親切心も一歩間違えるとお節介だ。

 子供と遊んでいたときハサミが上手く使えないので、親切心で切ってあげたら、自分でやると大泣きされた。上手く切る事よりも、自分で切る事が大事だったのだ。

 子供だけでなく大人同士でも、こちらが親切心で手を出すとかえって迷惑をかけてしまうことはよくある。

 行動だけを見るとその境界は曖昧だが、お節介は自分の考えを押しつけて

 電車の釣り広告を見ていると、世の中の人はどれだけダイエットが好きなのかと思うほどいつもどこかにダイエットの特集がある。

 一時期偏った食べ方のダイエットが巷で流行したが、結局自分に適した量をバランスよく食べるのが一番メタボ防止になるような話も聞く。

 仏道修行でも、身口意にお題目を唱えるのがいいとされるが、口で唱えているだけであったり、信じているが体を動かすのはおっくう