山のたより

能勢家文書

「信友」の「山のお便り」欄の記事を掲載しております。

 学校の試験前、追い詰められるとどうしても散らかった部屋が気になり、ついつい掃除をしてしまう。  

 目の前の事から逃げるだけの現実逃避だと気づいていても、適当な理由をつけて、ついついぴかぴかの部屋に満足するだけに終わってしまうのだ。

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 親切心も一歩間違えるとお節介だ。

 子供と遊んでいたときハサミが上手く使えないので、親切心で切ってあげたら、自分でやると大泣きされた。上手く切る事よりも、自分で切る事が大事だったのだ。

 子供だけでなく大人同士でも、こちらが親切心で手を出すとかえって迷惑をかけてしまうことはよくある。

 行動だけを見るとその境界は曖昧だが、お節介は自分の考えを押しつけて

 電車の釣り広告を見ていると、世の中の人はどれだけダイエットが好きなのかと思うほどいつもどこかにダイエットの特集がある。

 一時期偏った食べ方のダイエットが巷で流行したが、結局自分に適した量をバランスよく食べるのが一番メタボ防止になるような話も聞く。

 仏道修行でも、身口意にお題目を唱えるのがいいとされるが、口で唱えているだけであったり、信じているが体を動かすのはおっくう

 勉強をして将来何の役に立つんだろう。受験勉強中や学校のテスト前に、誰しも一度は考えたことがあるのでは。勉強せずにすむならそれで良いような気がしないでもないが、勉強しないとどうなるだろう。

 仏教では無知であることを三毒の一つとしてあげている。この場合の知識は学校の勉強ばかりではないが、世の中の様々な事を知っていれば無用な苦しみも減り、その智慧でより多くの人を助けることもでき

 ある新聞のコラムで乗馬用の馬の事が書いてあった。のんびり歩く乗馬用の馬は競走馬からの転用も多く、落ちこぼれの馬と思われるかもしれない。

 だが、競走馬は速く走ることを目的に作られたため、ゆっくり走ることが苦手で、ゆっくり走れることはそれ自体が才能だという。

 私たちは何かうまくいかないと自分には才能がないと落ち込んでしまうが、才能はいろんなところにある。