山のたより

能勢家文書

「信友」の「山のお便り」欄の記事を掲載しております。

 梅の花が咲き始めました。梅と言えばウグイスですが、その鳴き声の「ホーホケキョ」とは「法華経」の事。

 このように動物の鳴き声などを人間の言葉に当てはめることを聞き倣(な)しと言います。他にもコノハズクは仏教の三宝である「仏法僧」と鳴きますし、ホトトギスは「本尊掛けたか」と鳴くそうです。

 近頃、宗教というと構えてしまう人が多いですが、昔は日本人の生活に溶け込んでいたのですね。せっか

 大学の友人と久々に会った時、毎年冬はお寺に修行に行くのだという。よく聞けばそのお寺は私が以前お世話になった先輩僧のお寺だった。全然繋がりが無いと思っていた知人同士が実は知り合いであったことに驚いた。

 知人の知人を六人介せば世界中の人と繋がっているという説もあるようで、実は世間は狭いのかもしれない。

 人との繋がりを縁と言い、仏様に繋がっていく縁を仏縁と言う。

 あけましておめでとうございます。昨年は世界中がまさに激動の一年であったように思います。

 天災、人災、金融不安に革命など、今まで変わらないと思っていた事が次々と変わり、普遍的だと思っていた事がもう少し長いスパンで見てみると実はそうではなかったのだと改めて気付いた一年だったのではないでしょうか。

 私達は短いスパンで物事を判断しがちですが、永遠の命を持つ仏様からはどう見えるのでしょう

 幼稚園の展覧会を見てきた。先生が物語を読み聞かせて、そこから感じたことを絵にしたのだという。

 子供達は具体的なものや場面を指示されることなく絵を書く。完成した時、改めてみんな感じ方が違う事に気付くという。正解があるのではなく様々な感じ方があると認める事が大切だ。

 仏様の慈悲も物語と似ている。みんなに平等に降り注いでいるが人により感じ方は様々である。私たちはつい優劣をつけたくなっ

 子供の幼稚園でバザーがあるという。何か出せるものがないかと押し入れを探すと、普段使っていないものが思いのほか出て来た。

 しかし、いざ手放すとなるとなんだか惜しい気もするし、持って帰った人が大切に使ってくれるのか、などとあまり関係ないことまで気になってくる。

 だが小欲知足という言葉が浮かんだ時、そんな気持ちは消えた。使う予定のないものに囲まれていても良い事はない。それより欲しい人