山のたより

能勢家文書

「信友」の「山のお便り」欄の記事を掲載しております。

 NHKの番組で、今年は節電の影響で都市部のヒートアイランド現象も緩和され涼しい夏になったと言う。

 自分が暑いとついついエアコンを入れてしまうが、皆で切れば暑さが緩和されるというのは驚きだ。

 自分の事ばかり考えて行動すると、結局自分も含めた皆にとって一番いい結果にならないとは皮肉だ。では皆にとっていい行動とはどんな行動だろう。

 仏教には菩薩行という言葉がある。人の

 車で走っていたら突然渋滞にはまり、全く動かなくなりました。窓の外を見ると自転車のみならず歩行者にまで抜かれる始末。情けない気持ちと先の見えない不安に暗い気持ちになりました。

 暫くして、ラジオから軽い事故があったと流れると、原因が分かった事で不謹慎ながら少しほっとしました。先がある程度見えれば気にならない事も、分からないと必要以上に不安になるものです。

 人生の先も分

 先月、當山の先先代真行院日解上人の第三十三回忌法要が厳修された。お寺が現在も続いているのは先達の方々の必死の努力があると思うと尊敬と感謝の念で一杯になる。

 私たちのご先祖様についても同様で、一人でも欠けていると今の私はいない。

 人を木に例えると、ご先祖様は根のようなものだ。根に栄養が行かないと木は弱り倒れてしまう。根を大切にすることは自分を大切にすることでもある。

 ヨゴレ落としの専門家でもある作家の永田美穂さんの講演を拝聴した。

 印象的だったのは、ヨゴレをためるから落とすのが大変なのであって、毎日ちょっと拭きさえすればほとんど汚れないとのこと。

 これは部屋の掃除だけでなく、自分の心も同様だ。ともすれば心の隅に細かいホコリがたまり、気付くと頑固なヨゴレになっていることは多い。

 分かっちゃいるけどなかなかとは言わず、毎日ちょっ

しとしとじめじめと雨が降りうっとうしい毎日が続く。しかし、梅雨を経験できるのも人生であと五十回も無いかも知れないとふと思ってからは、梅雨が急に美しく風情あるものに思えてきた。

五十回が多いか少ないかは人によるが、自分の死を自覚することで得られるものは多いように思う。今日自分が死ぬと思えばつまらない欲や何かを失う恐怖も薄くなり、自分が大切だと思う事に集中できる。

日蓮宗徒