法華経茶話

法華経ってなんだろう。仏教のなかでも日蓮宗でよく聞く法華経とは。成立の過程や簡単な内容にふれながら法華経にまつわるいろいろなお話しです。

さて、今回からは十二支縁起についてもう少し具体的にお話しします。

十二支縁起は以前お話しした「四聖諦」(苦集滅道)の中の「集(じつ)諦(たい)」(苦が発生する原因についての真理)に相当する概念です。

まず、表面上の意識で発生する感覚からみていきましょう。

「六処」とは感覚器官のことです。身体・目・耳・鼻・舌・意識を指します。

次に六処が外部要因(情

激しい欲求(渇愛)が執着を生み、それが原因で思い通りにならないこと(苦)が生じます。

この因果関係を知らずに欲望のままに生きることが根本的な無知(無明)です。そして苦は最終的に老・死という現実となって現れます。

この無明から老・死に至るまでの因果関係を最も高度に理論化したものを「十二支縁起」といいます。

①無明

②行(潜在的な意思による行い)

様々な欲望が執着を生み、苦を引き起こすと考えられるので、この欲望を制御することが、仏教の実践的なテーマとなります。

仏教では、欲望の背後には、喉の渇いた者が激しく水を求めるような衝動があると考えました。それを「渇愛」といいます。

渇愛には三つの種類があります。

①欲愛(日常生活での物事への欲求)

②有愛(生存に対する欲求。この世でも来世でも良い生を

存在のあり方の特質に関して仏教では独特の把握の仕方をしました。

その理解の原理を「縁起」といいます。

「縁起」とは、あらゆるものは他のあるものに縁って起こる(依存して現象する)という意味です。

花を例に考えてみましょう。

原因としての種子と、日光や水分などの条件がなければ花は咲きません。

原因を「因」、条件を「縁」といい、あらゆる物事は因と縁とに

まず、「空」の説明に入る前に「五蘊」と「縁起」についてお話しします。

人間は「自分」という存在は確固たる「自己」であると思っています。

古代インドではそのような「自己」を「我(アートマン)」と呼びました。

しかし、そのような「我」は存在しないという立場(無我)を主張する仏教では、執着された「我」を様々に考察し、五種類に分類しました。

それが五蘊です