法華経茶話

法華経ってなんだろう。仏教のなかでも日蓮宗でよく聞く法華経とは。成立の過程や簡単な内容にふれながら法華経にまつわるいろいろなお話しです。

さて今回からは日常の感覚では感知できない無意識の領域についてみていきましょう。

「無明」は、今までも説明した様に、四聖諦の理解がない状態を指す言葉であり、苦の根源です。

「行」は、五蘊(ごうん)の「行」と同じで、身体で感受して心で思ったことに対して、無意識で何かを作りだそうとする作用のことです。

わかりにくいと思うので例を挙げて説明しますね。

例え

「有」で現れた業(カルマ)が元となって新たな業が現れます。

これが「生」です。

例えば、①嫌味を言われる(感受して不快に思う「受」)②腹が立つ(三毒の怒りの煩悩が湧き出る「愛」)③頭に血が上る(身体が反応する「有」)④言い返す(言葉となり行動がうまれる「生」)といった流れです。

そしてこの縁起の一連の流れで強くなった煩悩が弱まり、「苦」の根本である「無明」へと繋がっていきます。

「愛」が何度も繰り返し起こることで、対象に、より強く執着するようになります。これが「取」です。

「取」の種類として、①欲取(欲望の対象への執着)②見取(誤った見解に対する執着)③戒禁取(自我が存在するという思い込み)④我語取(自己を不変の主体であると思い込む)があり「四取」と呼ばれます。

「取」が強くなってくると「身口意」つまり身体と言葉と意(こころ)に現れてきます。これが「有」

「六処」(眼耳鼻舌身意)が外部情報に触れて認識が生まれることを「触」と呼びます。

そして感受された対象は、心地の良いものと悪いもの、そのどちらでもないものの三種類に分類されます。この作用が「受」です。

例えば異性を見て可愛いと感じたり、ゴミを見て汚いと感じたりすることです。

また「受」は以前お話しした生命体を構成する「五蘊」のうちの「受」と同様の概念です。

さて、今回からは十二支縁起についてもう少し具体的にお話しします。

十二支縁起は以前お話しした「四聖諦」(苦集滅道)の中の「集(じつ)諦(たい)」(苦が発生する原因についての真理)に相当する概念です。

まず、表面上の意識で発生する感覚からみていきましょう。

「六処」とは感覚器官のことです。身体・目・耳・鼻・舌・意識を指します。

次に六処が外部要因(情