法話(毎月更新)

真如寺の僧侶が毎月交代で法話を書いております。何気ない日常にある法華経の教えを感じて頂ければ幸いです。

 「ようやくここまでたどり着いた」

 フォーマルドレスを身につけ、ワインレッドのつば広帽子を被った私。遠方の友人の結婚披露宴に招かれた帰りのこと。いつになくおしゃれをしたものの、両手にはたくさんの引き出物がぶら下げられて、もうこれ以上歩くこともできないほどに疲れ果てていた。

 まだ宅配便がなかった、三十年も前のことだ。でも忘れもしない。

 賞味期限が過ぎた牛乳を使ったシチューが夕食に並んだことを思い出す。
「いま食べたシチューに使った牛乳は賞味期限切れ」「加熱したし、すぐには
傷まないから大丈夫」と、言われ何とも言えない気分を味わったことがある。

 家族間ならば賞味期限切れの材料を使用してもなんら問題はない。しかし、

 松葉。

 文字通り松の木の葉のことだが、その針のように細い葉は、他の木の葉と違って全く広がりを持たない。朴(ほお)や柏の葉は、柏餅などのように物を包むことができる。しかし松葉では何も包めない。

 ここから、松葉で包むほどのわずかな物ですという意味を込めて、昔の人は松葉のしを書いた。今でものし紙にまつばが印刷されているものがある。あれがそうだ。またのし袋やお菓子の箱に掛けるのし紙など

 修行とはなんでしょう。厳しくつらく堅苦しいことだと思っていませんか。

 私は、お題目の修行とは身を以て行動し、口に唱えこころ(意)に念じ、この三つの行為(業)ができたとき、修行が成就し、願いが叶うと思います。修行とは明るく楽しく、豊かな生活をするための智慧です。人として生を受け死を迎えるまで、日々の行いを修めることが修行なのです。

 誰でも生まれたときはオギャアと一声をあげ、事切れ