初春の山肌に薄桃色の模様がポツンポツンと見え隠れ、私たちの目を楽しませてくれたのがついこの前。今度は木々が新たな芽を吹き、山一面が黄緑色の絨毯に覆われ、四季の移ろいを確信させてくれる。

 この新緑の季節で思い出すのが茶摘みである。はじめてお茶の葉を摘んだのが中学二年の時であった。中学の校外学習で三日間の茶摘みの手伝いがあった。

 お茶摘みと言えば、丁寧に二~三の青葉を摘むイメージがあったが、実際は違った。新芽の一番良いところは抹茶にするため機械で奇麗に刈り採られ、刈り残しを手で摘むのである。

 四斗樽ぐらいの網籠を手前に置き、茶木の枝を根本から引き寄せ、籠の上まで運んだ後、枝葉に沿って手を滑らせながら若葉を摘んでいく。この作業が延々に続くのである。

 籠一杯で約1キロ、一日で四キロ強の茶葉が収穫できる。実に単純な作業であるが、素手で葉を摘み取っているため夕方になると茶渋で覆われた指が痛む。初日はやる気満々でも二日目三日目となると指の痛さと単純作業の辛さで気持ちが萎えてしまう。

 そこで二日目に担任の先生が考えたのが、三日間でお茶葉を多く摘んだ者、上位三名までに努力賞としてチョコレートの賞品を出す作戦をとった。これにつられた生徒は必死で茶摘みを行い他クラスの生徒達より多い収穫量を上げた。実はこのチョコレートがパチンコの景品であったことを後日知る事になるのだが…。

 生徒のやる気をチョコレートで操ったのが良いかどうかは別として、単純作業の辛さを忘れさせて頑張らせた事はまぎれもない事実である。

 法華経化城喩品には、旅に疲れた人々に仮の目標を与え、元気を回復したところでさらに真の目標へと進めていくリーダーの話が説かれている。

 人生という険しく厳しい道を進む私たちを、リーダーである釈尊は、あらゆる手段を用いて導いて下さるのである。