「どれにしようかな、天の神様に聞いてみよう」

小さい頃、ミカンゼリーとリンゴゼリーとミルクカンを出してもらって迷ってしまった。三人姉妹の真ん中だから、いつもは二番目なのに、その時は姉がいなかった。私は最初に選べることで、嬉しさでいっぱいだった。どれにしようかなと神様に問うてみたら、リンゴゼリーをさして指が止まった。とても美味しかった。天の神様のおかげかなと、ちょっと思った

 

 高校と大学の受験の時には、志望校に合格させてくださいと、祈った。お菓子選びよりずっと真剣に祈った。社会人になると、自分で納得できるような仕事がしたい。家の手伝いのような仕事でなく、きちんとした仕事がしたいと。自分で満足いくような環境の中で、自分に悪さをすることのない人たちの中で仕事がしたいと考えた。自分のしたい仕事と、仕事場を作ってください。真剣に祈った。

 年齢とともに、目に見えない、抽象的なお願いになっていく。逆に、神様と呼んでいたものが、お題目の信仰とともに、仏さま・法華経のご守護神へと具体化していった。「よしよし、一緒に考えながら、とにかくやってみようか」と言ってもらっていると感じる。

 一生懸命やっているのに自分ではどうしていいのか分からない。そんな時は、神様に手を合わせたら「よしよし、一緒に考えよう」という、暖かく力強い後押しがあるように感じる。

 人は誰でも日々安穏に生きたいと願う。ぜいたくをしたいとは思わないまでも、心配事が無く家族揃って笑顔で日々を過ごしたいと願う。そして、息絶えてあの世の世界に行くときは、苦しまないよう、眠るように仏さまの元に連れて行って下さいと願う。これを、法華経では「現世安穏後生善処」と説かれる。

 精一杯生きていく中で、どうすればいいのか迷った時、仏さまお願いしますと祈ればよい。「よしよし、まず考えて、一緒にやってみよう。」きっと大きな力をいただけることだろう。