山のたより

紙と硯

「信友」の「山のお便り」欄の記事を掲載しております。

 ジメジメとした梅雨が始まった。いつもなら雨はうっとうしいと思うばかりだが今は雨が待ち遠しい。というのも、先日、友人から素敵な傘をプレゼントしてもらったからだ。

 これをもらってからというもの、早く雨が降らないものかと毎日天気予報を確認してしまう。同じ雨の日なのに

持ち物一つで心持ちまで変わってしまうのが自分でもおかしい。

 日蓮聖人は私達の見

 最近は一人静かにたき火を眺めるソロキャンプが流行という。

 もしかして、情報にさらされない時間を求めてたき火を眺めに行くのかなとふと思う。

 ケータイでいつも誰かと繋がり、好き嫌いにかかわらずネットやテレビで大量の広告や情報が流れてくる。こんな毎日が続くと頭の中の情報の処理が追いつかなくなり、大事なことが何か次第に

分からなくなってくる。

日本人が大好きな苺の旬っていつだろう?年中苺が出ているので分からなくなるが苺の旬は春だ。

とはいえ、栽培技術の向上でいつでも作れるようになったし、海外からの輸入もある。

結果、日本では多くの需要と努力のおかげで多少価格の

上下はあるが年中「旬」の美味しい苺が食べられる。

仏教も、昔は一部の上流階級しかふれることはできなかったが、今では皆の願い

秋に葉を落として、枯れ果てたかに見える木々がまた新緑に彩られる。死の世界からの復活を思わせる。日蓮宗大荒行堂成満出行の行僧もそんな復活を思わせる。ただ行僧の成満は単なる復活ではない。

日蓮聖人は「妙とは蘇生の義なり」と説示されるが単なる復活とは意味合いが違う。冬が春となるように単に暖かくなったというのではない。

 

前の年とは違う新た

日蓮宗大荒行。その修行僧が身に着けるのは麻の袈裟衣だ。

実はこの姿は私たち出家僧の死に装束である。私たちが臨終を迎え棺の中に入る時は、この姿になるのである。修行僧のこの装束には二つの意味がある。

一は、すでに仏の弟子として出家した時点で身命を仏に委ねたという、その原点を忘れずに修行するという心を示すため。

二は、たとえ力及ばず修行中端に倒れても、最後まで志を貫くと