山のたより

能勢家文書

「信友」の「山のお便り」欄の記事を掲載しております。

 先月、當山の先先代真行院日解上人の第三十三回忌法要が厳修された。お寺が現在も続いているのは先達の方々の必死の努力があると思うと尊敬と感謝の念で一杯になる。

 私たちのご先祖様についても同様で、一人でも欠けていると今の私はいない。

 人を木に例えると、ご先祖様は根のようなものだ。根に栄養が行かないと木は弱り倒れてしまう。根を大切にすることは自分を大切にすることでもある。

 ヨゴレ落としの専門家でもある作家の永田美穂さんの講演を拝聴した。

 印象的だったのは、ヨゴレをためるから落とすのが大変なのであって、毎日ちょっと拭きさえすればほとんど汚れないとのこと。

 これは部屋の掃除だけでなく、自分の心も同様だ。ともすれば心の隅に細かいホコリがたまり、気付くと頑固なヨゴレになっていることは多い。

 分かっちゃいるけどなかなかとは言わず、毎日ちょっ

しとしとじめじめと雨が降りうっとうしい毎日が続く。しかし、梅雨を経験できるのも人生であと五十回も無いかも知れないとふと思ってからは、梅雨が急に美しく風情あるものに思えてきた。

五十回が多いか少ないかは人によるが、自分の死を自覚することで得られるものは多いように思う。今日自分が死ぬと思えばつまらない欲や何かを失う恐怖も薄くなり、自分が大切だと思う事に集中できる。

日蓮宗徒

東日本大震災の津波の被害は想定外の規模であったため、多くの犠牲者を出したが、岩手県釜石市の小中学生はほぼ全員が津波の被害を逃れたという。

釜石市を含め、この辺りは過去に大規模な津波の被害を受けた為避難訓練は日頃から行われていた。中でも釜石市では通常の授業にも津波を絡めるなど、日常的に津波を意識していた為、想定外の津波でも臨機応変に対応できたのだという。

結局、些細な日常

岩手県は今回の被災地の一つであるが、同県は詩人宮沢賢治の出身地としても有名だ。

賢治は童話作家というだけでなく法華経の信者としても知られており「世界がぜんたいに幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という言葉を残している。

日蓮上人も同様の事を述べられており、私たちが本当の幸せを見つけるには、自分の幸せだけを追求するのではなく他のためにも何かすることが大切だ。