山のたより

能勢家文書

「信友」の「山のお便り」欄の記事を掲載しております。

 いつも着ている服を普段着といいますが、「普段」という漢字は近年の当て字で江戸時代までは「不断」と書いたそうです。日常は絶え間なく続くことから「不断」とは言い得て妙です。

 逆に考えると「不断の努力」という言葉は何か特別な事を必死でやっているイメージが湧きますが、現在の普段に置き換えると、例え特別な努力であっても日常の習慣になるくらいまで努力するという芯のある力強い言葉に聞こえます。

 最近、テレビや雑誌などでお葬式の特集をよく見かけます。その多くは、お葬式はお金がかかりすぎるので簡素にしようという話。節約のため誰にも亡くなったことを告げずにこっそり送り出す方も増えているそうです。

 でも、お葬式は亡くなった方のためだけにあるのではなく、残された方にとっても別れをかみしめその縁を確認する場です。

 必要以上にお金をかけるのは反対ですが、お金の観点から

 「恐縮です」の台詞で有名な芸能レポーターの梨本勝さんが先月亡くなられました。梨本さんは亡くなる二日前まで記事を書かれていたそうです。亡くなる直前まで仕事ができるというのは素敵なことだと思います。

 働くということは、生きるためであると同時に誰かの為に役に立つということです。誰かの役に立つ事を仏教では菩薩行といい、日蓮聖人も仕事を法華経の修行と思いなさい、と言われました。

 8月に入ると各地で夏祭りが開催される。私は、夏祭りの雰囲気が好きで子供の頃は夜中に公然と家の外に出られることにわくわくしたものである。

 着くとまず夜店を見てまわるのだが、その中心にある盆踊りは苦手で子供心に夜店だけいっぱいあればいいのにと考えていた。

 時代とともに忘れられがちだが、本来盆踊りはお盆に帰ってこられるご先祖様などの精霊をお迎えするために行った儀式である

 7月に入ると、この能勢の地でもアジサイが見頃を迎えます。

 アジサイは花びらのように見える部分が本当はガクで実際の花は立派なガクに支えられその真ん中で小さく咲いています。また、ガク自体もそんなに大きくありませんが、一つの茎にかたまって咲いているのでまるで大きな花の様に見えます。

 私たちも一人一人はアジサイの花の様に小さい存在ですが、家族や仲間に支えられ生きています。それを忘れず感